左官職人の仲間にめぐり逢い、
塗りの楽しさを知った私だから
こそ、
お客様のために“良い仕事“をいたします。
土壁がもたらす快適で心地よい、
癒しの空間をぜひ知って欲しいです。
代表取締役 太田清司
家業が左官屋を営んでいたこともあり、高校を卒業後の18歳から4年間、飛騨高山で一人前の左官職人になるため修行にでました。
修行場所である飛騨高山の挾土組(はさどぐみ)で私の直属の上司になったのは、後々日本で一番有名な左官職人となる挾土秀平さん。
秀平さんには材料の下ごしらえ、配合から下地の加工、壁の塗り方まで左官職人としての仕事を事細かに教えていただきました。また土やコテといった土壁を塗る上で必要不可欠な存在と向き合うことで左官職人としての腕が上がるなど、左官職人としての心得も学ばせていただきました。
そんな自分に寄り添い、一~十まで教えてくださる秀平さんが大好きになり、左官職人の仕事も日が経つごとにより好きになっていきました。
左官職人の仕事が楽しくなってきたころ、知らぬ間に私は透析が必要になるほどの腎臓の病気を患っていました。秀平さんという慕う上司に恵まれ、左官がより好きになったにも関わらず、左官を続けられないという虚しい状況下、左官への想いは拭いきれぬまま、挾土組を離れ実家に戻りました。
家業の経理事務を手伝っていたある日、腎臓移植が決まりました。その腎臓を提供してくれたのは、左官の仕事の楽しさを誰よリも知っている左官職人の父でした。
「これからの人生、左官職人として歩んでほしい」
腎臓移植によって、体調も回復し、今後は父の想いを胸に左官職人として生きていく決心をしました。
一緒に仕事をしていた挾土秀平さんがメディアに取り上げられるようになった姿を見て、自分も頑張らなければならないと奮起した頃、左官の仕上げ作業にあたる漆喰や搔き落としの仕事が入り、仕上げ作業の仕事の楽しさを感じるようになりました。
そんな時、日本の左官屋で一番と言われている久住章(くすみあきら)さんの「土壁講習会」に参加し、仕上げについての知識から実践作業まで手取り足取りご教授いただきました。
さらに講習会後も何度も塗り方を見ていただき、ますます左官が楽しくなっていきました。
難しい仕事を依頼されることが多くなってきた時、講習会で知り合った仲間が現場に来て教えてくれたり、都度秀平さんが気にかけてくれたり、久住さんがまた塗りについて教えてあげると声をかけてくださったり…。
そんな左官職人の仲間と出会ったことで、私自身仕事をするにつれ、
塗り作業、創った空間、そして使う道具が一層好きになりました。
加えて現在はお客様に喜んでいただくことが力となり、“左官職人
太田”ができたのです。
土には物理的な調湿能力があり、湿気を分子のまま呼吸をするので、大きな気候の変動を瞬時に和らげます。
空気中に浮かぶ汚染物質を吸着し、放出することで、消臭を行います。また臭いだけでなく、アレルギーの原因となる物質も吸着するためアレルギー反応も起きにくくなります。
土壁や漆喰は燃えないため、有毒ガスが出ることがありません。そのため万が一火事になった際に、クロスを貼っている壁はクロスが燃えて有毒ガスが発生し、意識朦朧となり動けなくなるのに対し、土壁は燃えないため逃げる時間を確保できます。
壁一面に塗るのが難しければ、玄関の扉を開けて一番初めに見る場所を左官で仕上げる。それだけで出来上がりは変わり、温もりを感じながら心を癒してくれる。
そんな土壁の空間は選定された土や使用するコテ、塗る職人が違えば創る空間も十人十色。左官職人の創造力をぜひ体験してみてください。
熟練された技術で奏でられた土壁の空間を
ぜひ体験してみてください。
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